昔、北国の山あいの里に、宗助という盲目の琴弾きがあった。生まれながらにして光を知らず、目が見えぬがゆえに、世のあらゆる音に耳を澄まして暮らしていた。風のごとく軽やかな指は、十二の弦を撫でるや否や、雪解けの川音をも、夜更けの梟の声をも、ことごとく旋律へと変えてしまうのであった。
里人らは宗助を慕いつつも、その身を案じていた。妻も子もなく、たった一人で古い庵に住まう彼にとって、冬の長き夜は耐え難きものであったろう。しかし宗助は、誰に対しても笑みを絶やさず、訪ね来る者なくしては、自ら山道を下り、村の祭りに琴を奉ずるのが常であった。
ある秋の宵、楓の葉が血のごとく散る山道を、宗助は一人歩いていた。村からの帰り道であった。風がにわかに冷たくなり、どこからともなく女の声が聞こえてきた。「琴弾きの殿よ、一曲、聞かせてはくださらぬか。」声の主は若き娘であろうと思われたが、その響きにはこの世のものならぬ凜としたものが宿っていた。
宗助は怪しむ素振りも見せず、道端の石に腰掛け、琴を膝に置いた。指が弦に触れるや否や、山全体が息を潜めたかのごとく静まり返った。一曲弾き終えると、娘は深く息をつき、「お礼に、わたくしの調べを一つ差し上げましょう」と言った。そうして口ずさんだ旋律は、人の手では到底奏でうるはずのないものであった。三度繰り返されたその調べを、宗助は耳に焼きつけた。
「あなたさまは、いずれの方であらせられますか。」宗助が問うと、娘は静かに笑い、「人にあらざるものとお思いくださいませ。来年もまた、この道にて」と告げ、足音もなく去っていった。
翌朝、宗助は里に戻り、覚えたばかりの調べを弾いてみせた。聴いた者は皆、涙を流さずにはいられなかった。「これは人の世の音ではない」と古老は呟いた。それからというもの、宗助は毎年同じ秋の宵、同じ山道を歩いた。そしてあの娘は、年に一度、必ず姿を現したのである。
十年が経ち、二十年が過ぎた。宗助の手にある旋律は二十を数え、いずれもこの世ならぬ美しさであった。都の貴人までもが噂を聞きつけ、宗助の琴を所望したが、彼は静かに首を振るのみであった。「これらの調べは、私のものにあらず。狐殿よりお預かりしたるものなれば、むやみに人前で奏でるわけにはいかぬ」と。
歳月は流れ、宗助の髪も白くなった。三十年目の秋、彼は杖をつきつつ、いつもの山道を上った。風が冷たく、楓は例年のごとく散っていた。しかし、待てども待てども、娘は現れなかった。
ようやく現れた娘の声は、震えていた。「琴弾きの殿、わたくしも、もはやこの山を離れねばならぬ時が参りました。狐の身にあって、人と縁を結ぶは禁忌。長きにわたり、よくぞお付き合いくださいました。最後の調べを、お受け取りくださいませ。」
その旋律は、これまでのいずれにもまして哀しく、また澄み切ったものであった。弾き終えた瞬間、娘の気配は風にとけて消えた。宗助は涙を流すこともなく、ただ静かに微笑んだ。「狐殿あっての三十年であった」と呟き、山を下りた。
里に戻った宗助は、その夜のうちに、覚えた最後の調べを村人らに教えた。「これより一曲たりとも、私から新しき音は生まれぬ。されど、この三十一の調べは、世に残してゆきたい」と。それから幾日も経たぬうちに、宗助は静かに息を引き取った。
今もなお、北国のその里には、三十一の旋律が伝わっている。誰が弾いても、聴く者の胸に、見たこともない秋の山と、足音なき娘の姿を浮かばせるのだという。
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