祖母の台所には、常に小さな陶器の壺が置かれていた。蓋を取ると、酸味と土の匂いが一度に立ち上がる。糠床である。毎日手を入れてかき混ぜるのが祖母の日課で、私は幼い頃、その壺を覗き込むのが好きだった。糠の中に埋もれた胡瓜や茄子は、朝漬けただけで色を濃くし、夕方には塩気と乳酸の香りを纏って現れる。
糠漬けは手間のかかる食べ物である。温度管理を怠れば酸味が強くなりすぎ、放置すればカビが浮く。忙しい現代人にしては、これほど面倒な保存食もあるまい。しかし祖母は、雨の日も風邪の日も、糠床に手を入れることをやめなかった。「この菌は生き物だから」と言いながら、指先で糠を掬い上げる姿は、今でも目に焼き付いている。
都会に出てからというもの、私は糠漬けどころか、自炊すら満足にできない日が続いた。コンビニの総菜に頼る生活は便利であるものの、どこか味気ない。帰省のたびに祖母の漬物をつまみ、塩辛さの奥にある複雑な旨味に驚かされた。市販の浅漬けにしては、明らかに違う。発酵が生む深みは、工場では再現しきれないのだろう。
数年前、祖母が他界し、あの壺は行方知れずになった。叔母が処分したのか、誰かが引き取ったのか、今となっては分からない。葬儀の片付けに追われる中、壺のことを誰も話題にしなかった。家族にとっては、ただの古い容器だったのかもしれない。
私は去年、小さな糠床を自分で始めた。祖母の味には到底及ばないが、毎晩台所で手を入れていると、あの酸っぱい匂いが少しずつ蘇ってくる。味を受け継ぐというのは、レシピを写すことではなく、手の動きを体に覚え込ませることなのだと、今になってようやく分かりかけている。
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