深夜の執務室にあって、窓の外には街灯の灯りが点々と浮かび、長年見慣れたはずのこの光景が、今夜にかぎってどこか余所余所しく感じられた。明朝の取締役会をもって、私は三十二年務めた当社を退くこととなる。後任の人事を発表するや否や、社内には少なからぬ動揺が走るであろう。それを承知の上で、ここまで歩んでこられたのは、ひとえに諸先輩方の厚情なくしてはあり得なかったと、改めて痛感する次第である。
入社当時、私は実に未熟であった。指導役を引き受けてくださった部長の言葉、その一言一句が、今もなお胸の奥底に刻まれている。「君たちの代が、いずれこの会社を背負うことになる」と、まるで予言のごとく語られたあの夕暮れ。あれから幾度の組織再編を経て、思いもよらぬ部署を渡り歩き、気がつけば自らがその座に立っていた。歳月の流れの速さよ。
近年の経営環境の変化は、かつての激動期にもまして苛烈を極めている。市場の不確実性、顧客嗜好の多様化、人材確保の困難。一介の経営者として、これほどの重責を担い得たことは身に余る光栄であり、感慨の至りと言うほかない。されど、私の役割はここまでである。次代を託すにあたり、後継者には何ら不安を抱いておらぬ。彼ならば、必ずや我が社を新たな高みへと導いてくれるであろう。
机上の書類をそっと整えながら、最後の決裁印を押した。明日になれば、この椅子は彼のものとなる。万感胸に迫り、しばし瞑目した。窓外、空が白み始めていた。
Tokenizing… (first load downloads ~17MB dictionary)