昔々、北の山奥に、機織りを生業とする老いた女が一人で暮らしていたそうな。村人たちは彼女を「織江(おりえ)ばあ」と呼び、その織る布は月の光を織り込んだかのように美しかった。織江ばあは身寄りもなく、夫に先立たれて以来、ただ一人、糸と向き合いつつ静かに日々を過ごしていた。
ある雪の晩のこと、戸を叩く小さな音がした。開けてみれば、雪まみれの小さな娘が震えて立っている。「道に迷いました」と娘は小声で言った。織江ばあは何も問わず、娘を家に上げ、囲炉裏のそばに座らせた。
娘の名は「こん」といった。織江ばあは疑うこともなく、こんを家に住まわせることにした。こんは機織りの音を聞くたびに、目を輝かせた。「ばあさま、私にも教えてくださいませんか」。こんの頼みに応じて、織江ばあは糸の扱い方を丁寧に教え始めた。
こんは覚えが早かった。教えたそばから手が動き、十日もしないうちに、一人前の織り手となっていた。とはいえ、こんは昼間、機の前に座ることを決してしなかった。「昼は目が眩むのです」と言い訳をしては、夜だけ機に向かった。織江ばあは怪しむどころか、こんの事情を察して何も聞かなかった。
月日は流れ、こんの織る布は村で評判になった。「織江ばあの弟子の布は、触れただけで心が温まる」と人々は口々に語った。買い手は絶えず、家は貧しさから抜け出しつつあった。しかしこんは、金を得るたびに顔を曇らせた。
ある夜、織江ばあは水を飲もうと目を覚ました。機の間から、かすかな光が漏れている。覗いてみれば、そこにいたのは娘ではなく、一匹の白狐であった。狐は自らの尾から毛を抜き、それを糸と撚り合わせつつ、一心に機を織っていた。
織江ばあは息を呑んだものの、声を上げることなく、そっと襖を閉じた。翌朝、こんはいつものように朝餉を運んできた。織江ばあは優しく言った。「こん、無理をしてはいけないよ。お前の体は、お前だけのものだ」。こんの目に、涙が浮かんだ。
その夜、こんは囲炉裏の前で打ち明けた。「私は昔、猟師に追われていたところを、ばあさまのお父上に助けられた狐の子孫です。恩を返さずにはいられませんでした」。織江ばあは静かに微笑んだ。「恩は布で返してもらった。もう十分だ。山へお帰り」。
こんは深く頭を下げ、雪の夜にまぎれて山へと消えた。残された機の上には、月光のごとき白い反物が一反、置かれていた。それは織江ばあが生涯手放さず、形見として村に伝わったということだ。
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