北陸の古びた稽古場にあって、八十歳を越えてなお舞台に立つ能役者・宗像幽水翁の語り口は、磨き上げられた檜の床のごとく静謐であった。面の奥に何を見据えるのか──筆者の問いに、翁は半ば目を閉じたまま、ゆるやかに口を開いた。
──翁が舞台に立たれて、かれこれ六十余年と伺っております。今もなお、面をかけられる際には何かしら緊張のようなものがおありでしょうか。
「緊張、と申しますか……怖さですな。若い時分には、技を見せたいばっかりに足ばかりが先走ったものでしたが、年を重ねるにつけ、面の奥の闇が深うなって参りました。能というものは、動かぬところを見ていただく芸でしてな。歩を止めた一瞬にあって、観客の息が同時に止まる──それが叶わぬ日は、舞台を降りてからもなお、独りで稽古場に座っております。」
──「動かぬところを見せる」とは、観る側にとっては容易ならぬ要求にも思われますが。
「ええ、酷な芸でございますよ、能とは。若い役者にひきかえ、私らのような年寄りにはもはや派手な所作も許されぬ。されど、そこに残るものこそが、能の本懐かと存じます。先代がよく申しておりました、『泣き顔を作るくらいなら、面の下で本当に泣け』と。観客に泣けと迫るような演技は、能役者たるもの、最も卑しむべきものでございましょう。」
──ご家族を相次いで亡くされた時期にも、舞台を降りられなかったと聞き及びます。
「降りようにも、降りられぬのですよ。妻を送った翌週に『隅田川』の母役を勤めましたが、控えの間で衣装を着けながら、もう泣くまいと心に誓いました。されど、面をかけた途端、不思議なもので、涙はかえって出ぬ。面というものは、役者の感情を吸い取って、ただ静かな哀しみだけを残してくれるのです。あのとき、面に救われたと申しても過言ではありますまい。語らずにすませたかった話を、こうして口にしておりますのも、面の力ゆえのことでしょうな。」
──最後に、これからの能を担う若い方々に、何かお伝えになりたいことがございましたら。
「言うべきことなど、何もございません。ただ、稽古場の畳に額を擦りつけて、師の足音を聞き分けられるようになるまで、黙って坐ることでございます。教えを請おうにも、言葉では伝わらぬものがございますゆえに。」
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