拝啓 金風玉露の候、貴殿におかれましては益々ご清栄のこととお慶び申し上げます。平素は格別のご高配を賜り、誠に有難く厚く御礼申し上げる次第にございます。
さて、此度私こと、永年にわたり奉職して参りました研究の職を、本年度をもちまして退くこととあいなりました。四十有余年の歳月を、ただただ一途に学問の道に捧げて参りましたが、振り返れば感慨の極みに堪えず、筆を執るに筆意定まらぬ心地が致しております。かつて研究室の片隅にて、夜を徹して文献と格闘しておられた貴殿の在りし日の姿、今なお鮮やかに瞼に浮かんで参ります。
学問の世界にあって、人を育てるということは、種を蒔き、実りを待つに似ております。されど師たる者、己の手にて果実を収める者にはあらず、ただ後進がいずれ立派な木と成り、更なる種を世に遺さんがため、黙々と土を耕すのみにございます。貴殿が今日、斯学の一角において確固たる地歩を築かれたこと、拙老にとりましては、いかなる栄誉の至りにも勝る喜びに他なりません。
思い起こせば、あの夏の日、博士論文の構想につきご相談を受けた折、私は敢えて冷淡に「やり直し給え」と申し上げました。若き日の貴殿には過酷な言葉であったかと、長らく心の隅に棘の如く残っておりましたが、後日ご提出くださった原稿の完成度を拝見するに及び、あの厳しさなくしてあの論考は生まれ得なかったと確信致した次第にございます。学問にあっては、甘やかすことこそ真の裏切りなりと、拙老は今もって信じて疑いませぬ。
退官と申しましても、学究の徒たる者、その生涯に真の休息などあろうはずもございません。今後は一介の老学徒として、未完の稿を静かに温め直し、残された日々を書斎の燈の下で過ごす所存にございます。研究会の席上などにて、再び貴殿の晴れ姿に接し得る日を、一日千秋の思いで心待ちに致しております。
末筆ながら、貴殿並びにご家族皆様のご健勝とご多幸を、切にお祈り申し上げます。時節柄、何卒お身体ご自愛くださいますよう、伏してお願い申し上げる次第にございます。
敬具
令和七年十月吉日
文学博士 佐々木 謙三郎
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