熊野古道を歩くと決めたのは、特別な信仰心があったからではない。ただ、都会の生活に疲れつつあった私は、しばらく舗装された道から離れたかっただけだ。
紀伊半島の深い森にあって、千年以上前から人々が踏みしめてきた石畳は、今もなお苔むしたまま静かに横たわっている。朝五時、まだ薄暗いうちに宿を出て、川沿いに続く小道をゆっくりと歩き始めた。
最初の一時間は、景色を楽しむどころか、息を整えるだけで精一杯だった。坂道はなだらかに見えながらも、荷物を背負って登ると思ったより堪える。それでも、一歩ずつ足を運ぶうちに、呼吸と歩幅が自然と揃ってきた。
途中で出会った地元のおばあさんは、「ここは昔、都の人々が何日もかけて歩いた道なんよ」と教えてくれた。現代の感覚からすれば、とても信じられない距離である。とはいえ、実際に森の中を歩いてみると、その時代の人たちが何を感じていたのか、少しだけ分かるような気がした。
石段を一つ一つ上りながら、私は考えていた。この道は、目的地に早く着くために作られたものではない。むしろ、歩くこと自体に意味があったからこそ、千年もの間残されてきたのだろう。
昼過ぎ、尾根に出たところで雲が切れ、眼下に深い緑の谷が広がった。風が木々を揺らす音に沿って、どこからか沢の水音も聞こえてくる。観光地のような派手さはないものの、この静けさこそが、この道の本当の魅力なのだと思った。
熊野本宮大社に辿り着いたのは、夕暮れ時だった。長い石段を経て見上げた社殿は、想像していたほど大きくはなかった。しかし、一日かけて歩いてきたからこそ、その簡素な佇まいが胸に沁みた。旅の終わりに残ったのは、写真でも土産でもなく、足の裏に刻まれた石畳の感触だけだった。
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