工房の朝は、低い唸りとともに始まる。回転する金剛砂の砥石にガラスが触れた瞬間、しゃりっ、という乾いた音が空気を裂く。職人の指先はわずかに白くなり、透明な器の表面に、一筋、また一筋と細い溝が刻まれてゆく。江戸切子——天保五年(一八三四年)、江戸大伝馬町のビードロ屋・加賀屋久兵衛が、金剛砂を用いてガラス表面に文様を彫りつけたのが、その始まりとされる。以来およそ百九十年、墨田・江東のあたりに、この光を刻む技は息づいてきた。
切子の文様には名前がある。菊の花弁を連ねたような「菊繋ぎ」、麻の葉を幾何学的に組み上げた「麻の葉」、矢を組んだ垣根を思わせる「矢来」。いずれも江戸の暮らしのなかから生まれた文様で、藍や赤の色被せガラスを削れば、透明な層が現れて、文様は光を孕む。一九八五年に東京都の伝統工芸品に、二〇〇二年には国の伝統的工芸品にも指定された。けれど、その肩書きが現場の窮屈さを和らげてくれるわけではない。
職人は、ガラスを左手で支え、右手で砥石に押し当てる。下書きはほとんどしない。何百本という直線と曲線が、長年の身体の記憶だけを頼りに、寸分のずれもなく交わってゆく。深く削れば光は強く弾け、浅ければ柔らかな陰影が残る。削る、磨く、また削る。仕上げの磨きには木の盤や桐の粉を用い、彫り跡をくもりのない煌めきへと変えてゆく。一客の盃が完成するまで、早くて数時間、複雑な文様なら数日を要する。
華やかさの裏で、業界は痩せ細っている。組合に名を連ねる職人はおよそ百名弱、その多くが高齢である。かつて墨田の路地には四十軒を超える工房がひしめいていたが、いま会社として成り立っているのは十軒ほどに過ぎず、その九割は一人から三人の小さな所帯だ。バブル崩壊と長引く不況、贈答文化の衰退、そして海の向こうから安価に入ってくる機械加工のカットグラス——人の手が刻むより、はるかに速く、はるかに安く、似たような輝きが量産されてゆく。一客一万円を超える本物の切子は、若い世代の食卓には遠い。
それでも、灯は消えていない。墨田区錦糸町の堀口切子では、四十代の三代目・堀口徹のもとに二十代の弟子が育ち、海外の展覧会や百貨店との協業で新しい客層に切子を届けている。亀戸の華硝は、若いスタッフが中心となって発信を続け、サミットの贈答品にも選ばれた。十四歳で家業を継ぐと決めた清秀硝子の若き伝統工芸士のように、世代を超えて道を選び取る者もいる。海外のラグジュアリーブランドや酒造メーカーとの協業も増え、ニューヨークやパリの店頭で、藍色の器が静かに光を放つ。
機械が刻む線は均一で、迷いがない。職人の刻む線は、ほんのわずか揺れる。その揺れこそが、手のぬくもりが残る証であり、光の粒子をふぞろいに散らす理由でもある。工房の窓から差し込む春の光が、削りかけの器に当たって、虹のような縞をつくる。砥石の音はやまない。百九十年前、加賀屋久兵衛が初めて金剛砂を握った日から、この音だけは変わらず、東京の片隅で鳴り続けている。
伝統とは、過去を守ることではなく、未来へ手渡すことだ——そう静かに語る老いた職人の手のひらには、ガラスを支え続けた小さな傷が、いくつも光っていた。
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