人類は月に到達し、深海に潜り、素粒子の振る舞いさえ解き明かしたというのに、なぜかボックスシーツだけは未だに畳めない。洗濯物の山の中でそれを手に取る瞬間、私は静かに覚悟を決める。これから始まるのは作業ではなく、長年連れ添った宿敵との再戦である。
四隅のうち三隅までは順調であろうと、最後の一隅にしてからがこちらの意図を裏切り、ゴムの怨念のごとく弧を描いて反抗する。畳むという行為はもはや幾何学の問題ですらなく、ただ布が折れてくれるのを祈る儀式に近い。世の中には畳み方を解説する動画が星の数ほどあって、再生回数が百万を超えるものも珍しくない。
あの熱気たるや、人類がまだこの問題を諦めていない証拠である。私も何度か試みた。動画の中の彼らは、まるで鶴でも折るかのように優雅に手首を翻し、数秒のうちに整然たる長方形を完成させる。
ものを、私の手の中では同じ布が、まるで生き物のように身をよじり、不自然な台形となり、最終的にはただの塊に戻る。成功と失敗の差が、手首の角度二度以内にあるのだとしたら、それはもはや技術ではなく、生まれ持った天分の領域だ。そもそもボックスシーツという発明そのものに、私は軽い憤りを覚えずにはいられない。
四隅にゴムを仕込めば、なるほど敷くのは楽になる。しかし畳む段階での労苦については、設計者は一切責任を取らない。便利さの代償は、必ずどこか目立たぬ工程に押しつけられるというのが家事の鉄則であって、これは人生全般にも応用が利く教訓であろう。
とはいえ、私はまだ畳むことを諦めていない。諦めたが最後、戸棚の中は永遠に膨らんだ布の墓場と化すからだ。今日もまた、洗いたての匂いを胸いっぱいに吸い込みながら、私はこの宿敵と向き合う。
勝つためではない。負け方に、せめて多少の品位を保つためである。
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