京都・西陣の裏路地にあって、築百二十年の町家の軒下には、藍や茜や刈安の束が、季節ごとの風にさらされながらも、ひっそりと色を沈ませている。三代目染色家・真鍋澄江、七十四歳。祖父の代から受け継がれた土間の甕は、合成染料全盛の時代にあってなお、一度も火を絶やしたことがない。
朝四時、まだ鴉も鳴かぬうちから、彼女は素足のまま土間に降り、甕の藍の機嫌を見る。
「藍は生き物やさかい、放っといたら拗ねるんです」
と、ほとんど独り言のごとく呟く。発酵が進みすぎれば褪せ、足りなければ染まらぬ。指先の感触と鼻腔に届くわずかな匂いなくして、この仕事は成り立たない。
修行時代、師でもあった父に
「手で覚えよ」
と叱られ続けたのも、それゆえのことであった。澄江の工房には機械というものがほとんどない。電動の攪拌機も温度計も、敢えて置かない。
「道具に頼るが早いか、指が鈍(なま)るんです」
現代の染色業界にあって、これほど旧式を貫く職人は稀である。化学染料であれば半日で仕上がる一反の反物も、澄江の手にかかれば、染めては干し、干しては染めを、十数回繰り返してようやく色が立つ。効率を問われれば、彼女は静かに笑う。
「急いで染めた色は、急いで褪せますから」
近年、海外のメゾンからの引き合いが絶えぬという。京都の古刹や人間国宝の着物作家からも、澄江の刈安の黄、茜の緋、藍の褐返(かちがえし)は、余人をもって代え難しと評される。だが本人は名声に関心を示さず、注文の半ばは断る。
「染められる量しか染めん。それだけのことです」
ひとり娘は継がなかった。弟子を一人取ってはいるものの、その育成にあって澄江は決して急がない。
「焦って教えたところで、染まらん子は染まらん」
たる者、工房を継ぐ者たる覚悟は、三十年越しの地味な反復なくしては得られぬ、と彼女は信じている。夕暮れ、西陣の屋根瓦が茜色に染まる頃、澄江は甕に蓋をし、明朝の発酵具合に思いを馳せる。
「この仕事は、私が死んだら終わるかもしれん。それでええんです。草木が枯れるのと同じことやから」
その声には諦めも悲壮もなく、ただ静かな肯定のみがあった。
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