京都に着いたのは、ちょうど雨があがった午後だった。駅前の大通りを少し歩いたあと、地図も見ずに細い道へ入ってみることにした。石畳はまだ濡れていて、古い木の家の軒先から、ぽたぽたと雫が落ちていた。
その音を聞きながら歩いていると、時間がゆっくりと流れていくように感じられた。観光客の多い通りとはちがって、このあたりはとても静かで、自分の足音だけがはっきり聞こえる。ふと、小さな路地の奥にあかりが灯っているのが見えた。
看板には
「喫茶ひだまり」
と書かれている。こんなところに店があるなんて、地元の人しか知らないだろう。少し迷ったけれど、せっかくここまで来たのだから、入ってみることにした。
引き戸を開けると、古い木の香りと、コーヒーの匂いがやさしく迎えてくれた。店のなかには、白い髪のおじいさんが一人で立っていた。
「いらっしゃい。雨のあとは、うちの店がいちばん落ち着くよ」
と、おじいさんは静かに笑った。窓ぎわの席に座って、温かい珈琲を注文した。店のなかはとても狭いが、古い本や絵が壁いっぱいに飾られていて、まるで小さな美術館のようだった。
コーヒーを待つあいだに、窓の外を見ると、雨あがりの空が少しずつ明るくなっていくのが見えた。屋根のうえから、まだ残った雫がきらきらと光っていた。こんな景色をゆっくり見たのは、ほんとうに久しぶりだった。
最近は仕事ばかりで、空を見上げることさえ忘れていたのかもしれない。おじいさんが持ってきてくれた珈琲は、思っていたよりずっと香りがよく、一口飲むと、体のなかがじんわりとあたたかくなった。
「このお店は、どのくらい続けているんですか」
と聞いてみると、おじいさんは少し考えてから、
「もう四十年になるかなあ。雨の日にふらっと来るお客さんが、いちばん好きなんだよ」
と答えた。旅というのは、有名な場所を回ることだけではないのだと、そのときあらためて思った。偶然入った小さな店、名前も知らない路地、静かな時間。
そういうものこそ、あとで思い出すたびに、心をあたためてくれる。店を出るころには、空はすっかり晴れていた。石畳に映った夕日の色が、まるで絵のようにうつくしかった。
またいつかこの街に来たら、あの小道を探してみたい。きっと、あの
「ひだまり」
は、変わらずそこにあるような気がする。
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